本当の意味で自分に自信を持つ方法 ナルシストとの違いは?
自分に自信がない、これってよくある悩みだと思います。
完璧な解はないのかもしれませんが、ぼくは完全解答に近いものはこうだと考えています。
「ありのままの自分を認めること」
これだけです。自信を持つために努力する必要はまったくないと思います。
ぼくがこう考える理由を説明します。今悩んでる人が考えを深めるきっかけになれたら嬉しいです。
ありのままの自分を認めるってどういうこと?
自分の短所を思いつけるだけ並べてみてください。書き出してみるのも頭の中がすっきりしていいかもしれません。
ぼくの場合は、
・継続力がない
・めんどくさがり、出不精
・無駄にプライドが高い
・小さいことでくよくよ悩む、面倒くさい性格
・友達と一緒にいたいときもあれば、一人になりたいときもあったり、気分屋
・女性と話すと緊張してしまう
・字が汚い、姿勢が悪い、背が高くない、などなど・・・
みなさん、どれくらい書けました?「もう自分が嫌い・・・」なんて思ってる人もいるかもしれないですが、ぼくは全く思ってません。
では次に、今出てきた短所を長所に変えてみてください。誰目線でも構いません。
ぼくの例を挙げれば、
・(自分の身体目線)こいつは嫌なことからすぐに離れてくれるから、ストレスかからないよね!俺こいつの胃だけど、キリキリするとかほとんどないぜ!
・(インドア派の女性目線)一緒にごろごろしたい!アウトドア派よりいい!お互いめんどくさがりなら、ちょっと家事サボっても大丈夫だし結婚してから楽なタイプだよね~
・(ぼくを好きな女性目線)強がってるのがかわいい!自分だけに弱いところ見せてくれるのも萌える!
どうでしょうか?ちょっと恥ずかしいですが、自分のことを好きな異性目線(実在するかは置いておいて)で考えるとたいていの自分の欠点は長所に変わります。(笑)
この考え方は心理学的には心のフィルターとか、心に色眼鏡をかけている状態と言われたりします。
サングラスをかければ世界が暗く見えるといった感じで、自信のない人は世界を暗く見える色眼鏡をかけてしまっているということです。
いま行ってもらった作業は色眼鏡をかけ替えてもらうエクササイズでした。それも「自分のすべてを肯定的に見る色眼鏡」にです。
神様ではなく人間である以上、常に何らかの色眼鏡をかけて世界を見ることになります。絶対的な評価というのは存在しないからです。
あなたが短所だと思っていた部分も他の目線で見れば長所になりえるし、逆もまたしかりです。つまりそれは単なるあなたの個性です。
それなら自分を肯定する色眼鏡をかけていたほうが気分がよくありませんか?あなたを全肯定する色眼鏡をあなたがかけること、それがありのままの自分を認めるということです。
ぼくが自分の短所(に見えるもの)を並べても自己嫌悪に陥らないのは、それが実際は単なるぼくの個性であると知っているからです。
丸と四角、どちらが優れているということはありませんよね?視点を変えてしまえば、輝いている部分が影になったりしますし、影がきらきらして見えることもあります。
ですが、自分に自信がない人は自分のある一部分を短所と決めつけてしまって、そこを改善しようと努力します。それではキリがありません。短所(影の当たる部分)を無くすにはあなたという図形を消すしかないですから。短所を消すために形は関係ないんです。
ありのままの自分を認められない心理
ありのままを認めたら、成長が止まってしまうのではないか?
色眼鏡をかけ替えるエクササイズはやってみたけど、今の自分に満足しちゃったら、これ以上成長しないんじゃないの?自分を高める努力をしなくなるんじゃないの?
決してそんなことはありません、断言します。
そもそもそういう考え方をする人には「自分には継続力がない」と思っている人が多いのですが、どうしてだと思いますか?(ぼくもそうでした。まあ、ありのままの自分を認めた後で本当に継続力がないことが判明したんですが(笑))
それは、「自分を変えなければならない」と苦しい考えを持って努力をするからです。苦しい努力が続かない、という当たり前のことなのに、自分には継続力がないと思い込んでしまうんです。それってすごくもったいなくないですか?
小さい頃、何かに夢中になった経験が誰にでもあると思います。ポケモンのゲーム、マンガ、プラモデル・・・好きなものに対しての集中力や継続力は誰でもすごいんです。何度失敗してもやめないし、何時間でもやり続けられる。そう考えたら勉強を好きになれてたらどうなったんでしょうね?(笑)
自分を知って、好きになることで自分の興味のあること、好きなことは自然と見つけられます。そうして見つけた好きな分野での努力が、結果として自分を伸ばすことにつながると思います!
ぼくの場合は、それが心理学だったり、発達化学だったり、つまり「人間」について知ることでした。
記事を書いている途中で思いついたのですが、自分を好きになれたら、自分が主人公である人生約70年間、楽しめるということになるのではないでしょうか。
他人と自分を比べてしまって、自分に自信が持てない・・・
自分と他人を比べてしまって、自信が持てない・・・
誰から見てもすごい人っていますよね。経営者が惚れる経営者といわれる藤田田さんや、著名な学者たち、障害を持っていても努力で今の地位を築いたピアニスト辻井伸行さん、スポーツなどで言えばイチローなど、その生き方を見聞きしてもかっこいいなー、と思います。
でも、そんな人たちと比べて自分に自信を失うことはありません。
誤解しないでほしいのが、決して比較をするなということではありません。健全な競争精神は自分を高めるのにとても有効だと思います。
ただ、素人が大人になってからイチローより優れたバッターになることはまあ不可能ですよね。そういう「不可能」な部分だけを見て自分を卑下しないでほしいということです。
そもそも、あなたはイチローより優れたバッターになる必要はないんです。
野球に興味がない人の色眼鏡で見れば、あなたがイチローより優れているかどうかはただの個性です。運動音痴の人が好き、という色眼鏡をかけている人がいたらとしたら、逆にあなたはイチローより優れているということになります。
あの人はすごい、でも自分があの人と違う、という事実は優劣ではなく単なる個性であって、自分が劣っているということはない、って感じです。
まとめると、自分とほかの人を比べるのは構わないが、自分を肯定する色眼鏡をかけることを忘れず、自分も好きだし相手も尊敬できる、というスタンスでいることが健全な競争をするためのコツだと思います。
ナルシストと自信のある人の違いは?
「自分は容姿もよくないし収入も多くないし運動もできない、友達も少ないかもしれない。でも自分はこれでいいんだ」
「自分はかっこいい(かわいい)し年収も多いし運動もできる、あの○○君と友達だし可愛い彼女(かっこいい彼氏)がいて、しかも愛されてる、だから自分はこれでいいんだ」
前者と後者を比べてみると、前者は自分のありのままを認められているのに対し、後者は相対的な自分の評価、他人からの自分の評価を足掛かりにしてやっと自分を認められている、という感じがしませんか?
後者が一般的にナルシスト、という感じがしますが、ぼくはナルシストと呼ばれる人は、自分に自信がないゆえに、周りに自分を認めてもらいたくて自己アピールが過ぎてしまう人のことだと考えています。
つまり、自分の短所だと思い込んでいる部分は実は個性であると知って、自分の個性を好きになれているかが、ナルシストと自信のある人の差だと思います!
この記事は、自分の今の考えをすべて詰め込んだ記事になりました。後々見返すと恥ずかしいことばかり書いているのかもしれませんが、これが今の自分の精一杯です。
なので、この記事を読んで思ったこと、感想など送っていただえるとありがたいです!
この記事を書いてるのはブログを始めたばかりのころでまだ読者はいない(?)ので、「この記事だいぶ前の日付だし、今更送ってもいいのかな?」と思っている方いらっしゃいましたら、どうか日付は気にしないでください。
「ブログ閉鎖するまで連絡待ってます!(笑)」
読んでいただき、ありがとうございました。